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梅坪の歴史

梅坪の更なる発展を願って  前梅坪町自治区顧問 岩松文一

梅坪の地域はかつて三河国加茂郡梅ケ坪村と呼ばれ、梅坪の由来も条里制の坪(一坪は一町歩)からついた地名です。遠く大化の改新期(645年)ころまでさかのぼる地名遺構の一つと言われています。北は猿投山麓、東は篭川、矢作川、西は枝下用水と美しい山河と豊富な水利に恵まれ、雄大な田園と自然に抱かれた古い歴史と由緒ある伝統に包まれた地域でした。その後、幾多の変遷を重ね近年に至り、豊田市の中心市街地の一翼として発展してきました。この発展は区画整理事業の英断があってのことだと思います。昭和58年度から平成15年度まで、20年間という長い歳月をかけ、道路、公園、住宅区画などが整然と配置された、都市としての基盤が整った街に生まれ変わりました。区画整理事業の実施については、古くから住む地元住民の皆さんの理解と協力の賜物であると感謝しています。事業に関係する特に印象に残る出来事として、岡多線(現愛知環状鉄道)の計画変更があります。当初は線路敷部分が土盛りの計画でしたが、これでは地域が二分されてしまうとの危機感から、関係者に直談判を繰り返し高架式に変更されました。一体感のある地域整備につながってよかったと強く思っています。名鉄梅坪駅前にはこの大事業を記念して、円弧を基調にした梅(梅坪)の成長と人の輪(和)を絡めたモニュメントが建っています。新しい梅坪のシンボルといえるでしょう。 以来、多くの人がこの地に移り住み、新しい梅坪のまちづくりが脈々と続いています。この地に住むすべての人が「住んでよかった」と自慢できる故郷として、さらなる発展を願っています。

(区民だより「うめつぼ」 100号記念紙 記念投稿より)

梅坪10選

​常夜灯

観音像

昔の梅坪駅

昔の梅坪駅

昔の梅坪駅

​梅坪史年表

1838年の梅坪

1977年の梅坪

1977年の梅坪

1977年の梅坪

現在の梅坪と江戸時代の梅坪を地形を頼りに比べてみよう

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